私の人生の道〜育った家庭環境と希死念慮
私の人生の道〜育った家庭環境と希死念慮
自己紹介でも書きましたが、もう少し自分のことを書こうと思います。
家族構成と育った家庭環境
家族構成は4人家族(父 母 姉 私)です。
狭めな2LDKに住んでいて、部屋の仕切りはカーテンになっていて、
姉と私は同じ部屋でした。
私の家は4人家族(父 母 姉 私)
— カモミール (@chamomile_pis) 2018年8月2日
小さい頃から家族と父の間に会話がなかった
狭めの2LDKで、自分の部屋はなく何をしているのかほぼ筒抜け
会話もない家庭で自分はいつも家族の様子ばかり伺っていた
こんな家に居たくないと思い、中高生の頃は家に帰らず、マンションの階段で夜を明かしたこともあった
一人になれる場所がなく、会話もすべて筒抜けになる家でした。
いつの頃からだったかは覚えてませんが、
物心がついた頃には父と家族の会話は希薄になってました。
私の記憶には家族4人で楽しく会話をした記憶がありません。
旅行もした記憶もないです。
父は仕事人間で、休日は寝てるか競馬・競輪・パチンコ。
口下手というか、自己表現ができない人で、自分が物事の中心にいないと嫌な人で、
母 姉 私が楽しく会話していると怒鳴ることもありました。
仕事では重役になっていたそうで、会社では役員になっていたそうで、給料もたくさんもらっていました。
でもそのお金で引っ越しや家族のためでなく、マンション投資に手を出し、失敗してました。
父と母の会話はどんどんなくなっていき、
いつの頃からか会話でなく、筆談になってました。
このような家庭環境の中で育ってきた私は、
小学生高学年の頃にはいつも家族の顔色をうかがって生活をするようになってました。
それは家の中だけでなく、学校でもそうでした。
希死念慮を持つようになった日々
小学生の高学年くらいから、家に居場所を感じないし、学校も特別に面白いわけでもなく、
何か満たされない虚しさをずっと感じていました。
自分は勉強も運動も出来るわけでもないし、
いてもいなくても気づかれないような存在なのに、
なんで存在しているのだろう、生きてて何がいいのだろう
と思うようになりました。
そして中学生の頃には、
「この薬を全部飲んだらラクになれるのか」
「高層ビルの屋上から飛び降りたらラクになれるのだろうか」
と真剣に思うようになりました。
でも、本当にやろうと家においてある常備薬の瓶を手に取ったり、
高層ビルの屋上から下を外を眺めると足がすくみ、本当に怖かったです。
高校の頃からは家にいるのが嫌だったけど、
お金がないからどこかにいくこともできないから、
夜中の間、外を歩き回ったり、
マンションの階段でうずくまって夜を明かしたこともありました。
社会人になってから、
という単語を知るようになり、
そこから自分を分かってあげようと思うようになり、
希死念慮を持つ機会は減りました。
きっと姉はもっと辛い思いを抱えながら、
言葉にすることができず、ガマンを重ねてきたのだと思います。
お姉ちゃん、気付いてあげられなくてごめんね。