死別体験の話が出たら〜励まし、優しさの訪問販売をしない
死別体験の話が出たら〜励まし、優しさの訪問販売をしない
タイトルがちょっと分かりづらいかもしれませんが、
周りからかけられる言葉に苦しむことがありました。
その時に感じたことが、
励まし、優しさの訪問販売
でした。
その事を少し書こうと思います。
死別したことを話すとかけられる言葉
休職をするようになって姉が亡くなった事を話す機会が何度かありました。
(自死したことまでは伝えてません)
話したくて話したというよりは、会話の中で姉のことが出て来た時に、
最初はごまかして元気にしてるよと話していたのですが、
そうしているのが嫌になってきて、
自死したことまでは話さないけど、病気で亡くなったと話すようになりました。
以下は返ってくる言葉で多かったものです。
- 「そんなことがあったなんて知らなかった」
- 「辛かっただろうに全然そんなふうに見えなかった」
- 「よく元気でいられたね」
- 「回復する、立ち直る、乗り越えられるといいね」
- 「時間が経てば癒してくれると思うよ」
- 「あなたが頑張らないとね」
言われた時に感じたこと
これらの言葉をかけられた時に私が感じたことです。
- 元気そうに見えるから何もないのではないことをわかってほしい
- 元気でいられているのではなく、必死であるということ
- 回復なんてできない、回復するとしたら死別した人が目の前に戻ってこなければできない
- 立ち直る、乗り越えるものではなく、どう向き合っていくか、共に生きていくか
- 時間が癒してくれるのではなく、時間が経つことで死別経験に対する捉え方、感じ方が変わっていく
- これ以上何を頑張ればいいのか教えてほしい、頑張る力はない
相手に反論をしたくなる気持ちはありましたが、
死別したことを話して、相手と議論を交わしたいのではないし、
話を続ける気力もなくなったので、
こういう言葉をかけられた時には話を別の話題に変えるようにしてます。
相手に悪気がないのが苦しさに拍車をかける
自分にとって苦しさに拍車をかけることが、
相手がかけてくる言葉に悪気を感じない
ということです。
相手を慰めよう、励まそうと思っての発言というのが、
余計苦しく感じます。
励まし、優しさの訪問販売はいりません
こうした経験をした時に、
自分もきっと経験してなければそういう言葉をかけていた
と思いました。
そして、相手の何気ない一言の励ましや優しさが実は、
励まし、優しさの訪問販売になっていると気付きました。
死別を経験して日が経つほど
— カモミール (@chamomile_pis) 2018年9月25日
○ヶ月(年)「も」過ぎると気持ちも整理されるよね
悲しんでても○○さんは喜ばないよね
元気ださないとね
という言葉を耳にするようになる
優しさ、励ましの訪問販売だなと思ってしまう
特に必要としてないのにまるで必需品かのように迫られても困る
何気なくいったつもりの「早く立ち直る(回復する)といいね」「きっと時間が解決するよ」とかの励ましが結構刺さるんですよね><
— カモミール (@chamomile_pis) 2018年9月12日
悪気がないだけに、結構傷つくし、何か打ち明けたくなっても話しにくくなりますね、、、
訪問販売をされている方には申し訳ありませんが、
たいていの場合は必需品ではないものを
必要かのごとく話を進めていきます。
そして、話を聞いているのがしんどくなるので、
話を打ち切りたくなります。
それと似たような感覚を感じました。
これは相手の人格を否定しているわけではありません。
何気なく発する励まし、優しさの一言が
相手にどう伝わっているのかということです。
死別に関する話がでたら相手の気持ちに寄り添う、受け止めること
死別体験に関する話が出て何か気持ちを話してくれた時には、
同じ経験をしているとしても立場、環境、状況、関係性などは
全く違うので、自分の感じたことを当てはめようとしないで、
- 話に耳を傾けること
- 教えてくれたことに感謝を伝えること
- 相手の気持ちに寄り添うこと
を心がけています。
それが正解なのかはわかりませんが、
自分には何かしてあげられることはできないし、
深く立ち入ることもできません。
あと、全てに共感をすることもできないかもしれません。
でも、その気持を理解しようとしていることを示すことはできるから、
相手の言葉に反論や遮ることをしないようにしてます。
相手から何か質問や経験談を聞かれない限りは
自分の意見を伝えないようにしてます。