「いきづらさ」とはどういう漢字を書いて、どういう感じ?
「いきづらさ」とはどういう漢字を書いて、どういう感じ?
私の好きなことの一つに言葉遊びがあります。
掛詞(かけことば)を考えるのが好きです。
無理矢理に考えているのではなく、
考え事をしたり、話をしたり、聞いている時に出てくる単語に関して、
掛詞がふと浮かんで来ることがあります。
掛詞って奥が深いと思うのが、
掛詞を使うことで話の内容に深さ、重みが出てくることです。
今回はその一つとして「生き辛さ」を取り上げてみます。
あくまで、これは自分が実体験として感じていることなので、
参考程度にそういう感じ方、捉え方もあるんだなくらいに思ってください。
どういう漢字(かんじ)で書くかで、感じ(かんじ)が変わる
別にダジャレを言いたいわけではないのですが、
同じ読み方をしていても、どういう漢字を書いているかで、
感じ方が変わりますね。
生き辛さは息辛さ
あまり「息辛い」とは言うことはないと思いますが、
言葉を補足するなら、「息をするのが辛い」
言い換えるなら、「息苦しい」
だと思います。
生き辛さというのは、
息をするのが辛い、息苦しい感覚に似ていると思います。
以下、息が苦しい状況と生き辛さを照らしてみました。
- 自分のペースで呼吸ができない
会社、他人ばかりを意識してしまって、自分のペースで生きられないことからくる生き辛さ - 酸素がうすい場所にいる
今いる環境が自分に適していないことからくる生き辛さ - そもそも呼吸ってどうやってするんだっけ 生き方が分からないことからくる生き辛さ
生き辛さは行き辛さからくるものもある
また別の漢字で表現してみました。
生き辛さというのは、
行き辛さからくるものもあるのかなと思います。
様々な環境、背景、経緯、理由があって、
学校、職場、病院などなど行くべき(と社会、周囲から常識とされてしまっている)場所に
行けない or 行き辛いことによって
- 自分は社会に適合できていない
- 休んだらまた誰かに何か言われる
- 自分に居場所を感じられない
などなど悲観的な感情が出てきて、生き辛さを感じます。
生き辛さはなくなるもの??
生き辛さというのを漢字を変えてみることで、
どういう感じなのか考えてみました。
最後に生き辛さってなくなるものなのか考えてみたいと思います。
私はカウンセラーでも専門家でもないので、
生き辛さを感じている当事者としての感覚で書きます。
- 生き辛さはなくならない
だから - 生き辛さを抱えて生きていく
と思っています。
- 生き辛さを抱えて生きていく
というのは、
生き辛さを変えることはできないから、
(会社、学校、社会が急に変わることはないし、苦手な相手が突然変わることもない、
かといって自分という存在を変えることもできない)
- 生き辛さを抱えている自分を分かってあげる
- ありのままの自分を受け入れる
ことだと自分は感じてます。
自分を認めてあげる、受け入れてあげることで、ラクになりました。
呼吸が苦しい時に酸素マスクをもらったり、過呼吸のビニール袋を口に当てて呼吸をし、落ち着かせるような感じに近いと思います。