カモミール〜生き辛さと共に生きる

カモミール〜生き辛さと共に生きる

生き辛さを感じて生きてきた人生、母を乳がんで亡くし、姉を自死で亡くしました。行き場のない悲しみ、悔しさ、無力さを感じてます。30代半ばになり、このままでいいのかと思い、心理を学ぼうと模索中。カモミールのように心身をリラックスさせられる人になりたい、花言葉の「苦難の中の力」「逆境に負けない」にあるような人になりたい。色んな思いを綴るブログにしようと思います。

姉の自死について〜最後に姉と会った日

姉の自死について〜最後に姉と会った日

姉の自死について以前書きました。

chamomile-pis.hatenablog.com

今回は最後に姉と会った日についてです。


最後に姉と会った日〜ディズニーランド

姉と最後に会ったのはディズニーランドです。


姉が遠くに引っ越しをするというので、
引っ越し前に一緒にディズニーに行こうと誘ってくれました。


ディズニーは母と姉が好きなところで、
母が元気だった頃は姉と年間パスポートを買って行くほどでした。
乗り物よりショーが好きでした。


さて、最後に姉と会ったときですが、
私は夜勤明けの日でした。
休憩もほとんど取れない勤務なので、
フラフラになりながら、ディズニーに行きました。


姉はホテルミラコスタという多分ディズニー好きなら
一度は泊まってみたいと思うホテルを予約してくれてました。
(1泊2日)


本当にあんなにいいホテルを予約してくれたのに、
自分は夜勤明けでフラフラだったので、
申し訳なく思ってました。
(今はもっと申し訳なく思ってます)


姉とディズニーで過ごした時間

自分は久しぶりにディズニーに行ったので、
とても楽しかったです。


フラフラになりながらディズニーに着きましたが、
姉と合流すると、虹が見えて、とても神秘的でした。
自分は写真を撮るのが好きなので、こういうシチュエーションは
大好物なのですが、疲れのあまり写真を撮る気もなかったです。
あのとき、写真を撮らなかったことを後悔してます。。。
今思えば、あの虹は忘れられない思い出を作ろうと見せてくれた虹だったのかなと思います。


ホテル内にある美味しいビュッフェを食べて、
バズライトイヤーのアトラクションに何度も乗って、
母と姉が好きだったショーを見ました。


母と姉が好きなショーはビックバンドビートといって、
ディズニーのショーが好きな人にはこれを目当てに行く人もいるのではないかと思います。
このショーは抽選で当たらないと見れません。
1回は外れましたが、2回目は当選しました。
ど真ん中でいい席が当たって、姉は本当に喜んでました。
母も一緒に見てくれていたのかなと思うと自分も嬉しかったです。


ディズニーを出る前の夜ご飯は母と姉と3人でディズニーに行ったときに
よく行った和食屋さんで食べました。


今振り返ると

姉と過ごしながらまさか死のうと考えていたなんて微塵にも感じられませんでした。


今思うと、最後の思い出作りをしていたと思います。
しかも、虹を見て一緒に喜んだり、
大好きなショーをとてもいい席で見れたことがもっと後押しをしたのかなと思います。

楽しんでいる姉を見て、安心していた自分に腹が立つ、
どうしてもっと気づいてあげられなかったんだろう、
仕事でとても疲れてたけど、こんなことになるならもっとはしゃげばよかった、
またディズニーに行こうとLINEして釘をさしておけばよかった。。。


さいごに

お姉ちゃん、最後にディズニー行ったとき、どんな思いだったの?
あの時、夜勤明けでテンション低くてごめんね。あれが精一杯だったんだよ。
バズライトイヤーのアトラクション、楽しかったね。
もっといい点数取れるように研究しとくね。


ミラコスタで食べたビュッフェ、美味しかったね。
部屋からの眺め、よかったね。
ミラコスタで泊まれるなんて、もう二度とないねと笑って話しかけたけど、
本当にそうなっちゃうなんて、笑えないよ。


ビックバンドビート、いい席だったね。
お母さんも一緒に見てたよね。


楽しい時間だったよね。
あんなに楽しい時間だったのに、
今は悲しみが溢れてるよ。
あの時過ごした時間は一生忘れないよ。


今度、ディズニーに行こうと思うよ。
転職できてないし、生活ギリギリだからまずお金貯めてから行くよ。
ミラコスタには泊まれないけど、我慢してね。
また、ビックバンドビートも見ようね。
お母さん、お姉ちゃん。


自死遺族になって〜分かち合いに参加してみて

自死遺族になって〜分かち合いに参加してみて

姉を自死で亡くして1年を過ぎた頃に
分かち合いに参加してみようかなと思うようになりました。


分かち合いに参加しようと思うようになった経緯、
参加してみて思ったことを書きます。


分かち合いに参加することを勧めるためというよりは、
分かち合いってどうなのだろうと思う人はいると思うので、
実際に参加した人の感想が参考になればと思っています。


分かち合いって何?

自死遺族に関して調べていく中で、
「分かち合い」という単語を見るようになりました。


以下は調べた際に分かち合いについて書かれたページの引用です。

互いを尊重し合いながら、ありのままの思いを語り合い、
聴き合う―遺族のつどいはそのような場です。
立ち上がることなど到底できない、
どうにもできないほどの混乱の中で、
多くの方たちが「同じような体験をした人の話が聞きたい」、
「自分の気持を話したい」、「わかり合える人に出会いたい」
との思いから、つどいに参加されています。
(全国自死遺族総合支援センターより引用)
リンクはこちら


同じ遺族の方たちで集まり、
普段話せない思いを互いに共有しあう場です。


分かち合いの会の進み方、約束事

開催している会によって多少の違いはありますが、
いくつか参加して共通していることがありました。


  • 会の進み方や約束事
    • 匿名で参加OK
    • 事前連絡なしでOKなところが多い
    • 自己紹介が終わった後は自由に発言(特にテーマはない) (参加人数が多い場合は亡くした方によってグループを分けることもありました)
    • 発言をしている人を遮ったり、反論、評価をしたりしない
    • 会で聞いた人のプライバシーに関する話は外で話さない
    • 話したくなければ聞いているだけでもOK


主に上記はどこの会も共通しているようと思います。 分かち合いの内容に関しても
全国自死遺族総合支援センターのページに
わかりやすくまとまっているので、
気になる方は参考にされるといいと思います。

こちらがリンク
一番下にあります。


分かち合いに参加しようと思った経緯

姉が自死して1年位した時に、遺族の会でやっている分かち合いに
参加してみようと思うようになりました。


誰かに誘われたりとか、医者から誘われたりとかではありません。
(私の担当医は何も情報をくれませんでした。)


分かち合いの存在については8ヶ月くらい経った時に知りましたが、
全然情報が頭に入ってこなく、
何をしても無気力な感じでした。
あと、分かち合いと聞いて最初に感じたのは、

  • 他人と分かち合って何になるのか
  • 他の人から何か言われたらどうしよう

でした。


1年経てば何か気持ちが変わるのかなと思いましたが、
特にそういうことはなく、時間だけが過ぎていました。


ただ一つ気持ちに変化が出たこととしては、
自分はこの複雑な気持ち
(大切な人を自死で亡くした悲しさ、悔しさ、何もできなかった無力さ・無念さ、行き場のない怒り、亡くして気づいた愛おしさ)
と共にこれから一生を生きていくのだな
ということを受け入れるようになってきたことです。


こうした気持ちを持つようになった時から、

  • 他の遺族の方はどのようなことを考えているのだろう

と思うようになりました。


参加することに不安はあるけど、一度は参加してみようと思って参加しました。


参加してみてどうだったのか

初めて参加したのは平日の昼間にやっているものでした。


参加してみて感じたのは、

  • 参加したから答えがあるわけでもないし、
    人生の辛さがなくなるわけではない
  • 同じ「自死遺族」という共通項はあるとはいえ、
    それぞれ感じていることは違う
  • 自分は一人じゃない
  • ありのままを全て受け入れて生きていこう
  • 思っていることを気兼ねなく話せる場所がある

ということを感じました。


参加してみてものすごく良かったととも感じなかったし、
参加することに意味がないとも思いませんでした。
当たり前の感想かもしれませんが、
参加したいと思った時に参加するのがいいかな
というのが率直な感想でした。


参加して良かったと思ったこと

箇条書きになりますが、参加してよかったと思ったことです。
あくまで私が感じたことなので、全ての人に該当はしないと思います。
参考程度にしてください。

  • 話したいことを話せる

普段は口にすることが難しいけど、
分かち合いでは気にせず最初から自死に関して話をできました


  • 色んな方の話を聞くことを通して自身を振り返れる

他の方の話に耳を傾けて聞くことで、自分に落とし込んで
自分の気持ちを整理することができました。


参加してちょっと困ったこと

いくつか参加してみて、困ったなと思ったこともありました。
こういうマイナスに感じられてしまうことを書くと、
参加しようか迷っている人に悪い印象を与えてしまうかもしれません。
批判ではなく、自分が困ったなと感じたことなので、
こちらも参考程度にしてください。


  • 自分の話したことを評価されてしまう時がある

約束事に「人の話を評価しない」というのはありますが、
全ての項目を完全に守ることは難しいこともあるように感じます。
「あなたのように若い人がこんな苦しみを抱えているのに前を向いていてすごいわね」
「あなたは若いから(まだ先があるから)いいじゃない」
「早く結婚して亡くなったお母さんとお姉さんを喜ばせなさい」
と言葉をいただくことがありました。


自分が感じたことを良く評価してくださるのは嬉しいですが、
これからのことをアドバイスされるのはちょっと困りました。


分かち合いの場としては、
アドバイスや発言の評価をするよりは、
人の話を聞いてよかったなと思ったことを伝えたい時は、
自分の気持ちの受け止め方にこう活かしてみようと思ったと発言した方が
分かち合いの場としての効果が大きいように私は感じます。

  • 発言しにくくなることもある

分かち合いの雰囲気はその場に参加している人によって作られるので、
たくさん話したいことがある人は積極的に話されますが、
なかなか話しにくくなることもあります。


この辺は分かち合いを進行していくファシリテーター
(進行役であるけど、同じ自死遺族の方)
の役割がとても大事だと感じてます。


参加者は気持ちをまとめられずに発言することもあるし、
同じ遺族の方と話せる機会は少ないと思うので、
色々話したいこともあると思うので、
時として発言の内容が分かち合いの場では控えた方がいい場合もあるかもしれません。
そういう時にファシリテーターがフォローを入れてくれると話しやすい雰囲気になるのを感じました。


これから参加してみようかなと思っている方へ

以下は、私が何度か参加してみて、
分かち合いに参加する時に心がけていることです。


参加したことがなくて、参加してみようかなと思っている方がいれば、
参考になれたらと思います。


  • 参加したいと思った時に参加する

当たり前といえば当たり前ですが、
参加したいと思った時に参加するのが良いと思います。


  • ある程度体調、気分が良い時に参加する

分かち合いでは色んな方の話を聞くし、
自分の事も話すので、
思ったより心身共にパワーを消費するので、
当日の体調や気分が優れなければ無理して参加しなくてよいと思います。


  • 全部の話をちゃんと聞こうとしなくていい(=神経を使って話を聞きすぎない、リラックスして話を聞く)

色んな方の話を聞きたいと思うので、
頑張って聞こうとするのは大事ですが、
分かち合いって参加してみると思っている以上に神経を使うので、
ある程度リラックスした方がいいと感じました。


また、どんな人が参加するかわからないというのは、
どんな話が出るかわからないということでもあるので、
時にはその内容が自分にとって辛く感じられる時は、
耳に入ってくるところだけ話を聞いたらよいと思います。


  • 自分の話したいことはある程度はまとめておいた方がいい

こうした分かち合いの場で話すことは自分の気持ちに関することが多いと思います。
また、その気持ちはとても複雑で、矛盾しているような相反する感情があったり、
昨日、今日、明日でその気持ちも違うこともあるし、
一日の中でも色んな感情が出てくると思います。


なので、話したいことをまとめるといっても難しいですが、
事細かに説明する必要もなく、今自分がどういう感情を持っているのかは自分の心と対話しておくと良いと思います。

  • 話したいことを話す

さっきと矛盾しているように思われますが、
自分の気持ちを確認したり、まとめておくことは大事ですが、
その瞬間話したいと思ったことを話すのが一番だと思います。


  • 分かち合いは答えをもらえる場ではない

参加したら誰かから答えやアドバイスをもらえる場ではないです。
(会の主催者によっては何かアドバイスを貰いたいことがあれば
会の終わった後とかに質問したら専門機関を紹介してくれることもあるので、
個別に問い合わせてみるといいと思います。)


色んな方の話を聞く中、また自分が話す中で、
新たな気づきを得ることはあるので、
そういった意味では答えを得ることもあります。


  • どこで参加するのがいいか

どんな人が参加するかは会が始まるまでわからないので、
どこがいいというのはないかと思います。


ただ、アドバイスするとしたら、以下を私は挙げます。

  • 自宅 or 会社に近すぎないところ(←近すぎると知り合いに会う可能性がある)
  • 市区町村に紹介されている(←何となく安心感がある)
  • 対象が自死遺族のみ


中には死別体験で一括りにしているところもありますが、
初めて分かち合いに参加する場合は
自死遺族のみ」のところがいいと思います。
適切な表現が出てこないのですが、
自死による死別体験は悲しみの種類が違うように感じました。
死別体験という大きい括りで色んな話を聞きたい場合でなければ、
対象を絞っているところに参加した方がいいと思います。


さいごに

私が分かち合いに参加して感じたことを書きました。
書いてみると、うまくまとめきれない部分もありますが、
分かち合いってどういうところなのかが、
少しでも伝えることができたら嬉しいです。


分かち合いに関して何か気になることとかあれば、
私の感じたこと、調べて知った範囲で答えられることは回答します。


アメブロを最近始めてみました

アメブロを見てみると、
自死遺族の方が書かれているものが結構あり、
はてなブログよりライトな感じがしたので、
ちょっとアメブロもはじめてみました。


アメブロは自分の感情を
徒然なるままに書いてみようかなと思います。


よければ見てみてください。

ameblo.jp

生と死に関する講座に参加して〜自死者の名誉・尊厳回復 宣言

生と死に関する講座に参加して〜自死者の名誉・尊厳回復 宣言

先日、生と死を考える会が開催している講座に参加しました。
その中で共感したことがあり、もっと広まったらいいと思った内容があり、 そのことを書きます。


※この記事を書くことは事前に生と死を考える会に了承をもらっています。


以下は生と死を考える会のホームページのURLです。

生と死を考える会のホームページ


参加した経緯

内容に入る前に私がこの講座に参加した経緯を簡単に紹介させていただきます。


姉を自死で亡くし、行き場のない複雑な感情を持ちながら過ごす中で、
この悲しみと自分は共に生きていくしかないのだなと思うようになった頃に、 自分にできることは何かないのかと考えるようになりました。


そして色々と自死遺族に関して調べる中でこの会のホームページに行き着くようになり、
講座に参加するに至りました。
自分自身が生死に関して向き合いたいという思いもあり、続けて参加しています。


参加した講座

講座のページ

教養講座:生と死の現在とその奥行き
第2回 2018年10月 1日(月)
【人は何故、自ら命を絶つのか(自死遺族支援の観点から)】
講師:藤井忠幸 氏
(講座のページより引用)


この話の中で、特に共感し、またもっと広まったらいいと感じた内容がありました。
それが
自死者の名誉・尊厳回復 宣言」
です。


一部はTwitterでツイートをしましたが、

全文ではないので、ここでは全文を載せます。


自死者の名誉・尊厳回復 宣言】

自死者の名誉・尊厳回復 宣言】

わたくしたちは、おのずから亡くなった人たちの人格の尊厳と名誉を守るために、
「自殺」という言葉ではなく、「自死」という言葉を用います。
また、自死者たちは抱えていた問題や背景、性格等はそれぞれ異なりますので、
すべての自死者に等しくつぎのような要件が該当するとは言い切れないとは思いますが、
わたくしたちは自死者たちにはつぎのような方々が多いことを評価し、以下のように宣言します。

◎わたくしたちは、自死者はいのちを大切にしなかったわけではなく、
それぞれのかかえる問題でやむにやまれず、
みずからの命を絶たざるを得ない状況に追い込まれたのだと考えます。

◎わたくしたちは、自死者は繊細、純粋、誠実、心やさしく、
死ぬまで精一杯努力し、まじめに生きてきた人たちであると思います。

◎たとえ病気に陥り病人になったとしても、その人の人格は変わりません。
最後の最後まで人格のあることを尊重します。

◎また人間の評価は、最後の死に方がすべてではなく、それまでその人が歩んできた、
在りし日の「いのち」のあり様全てが、最も大事なことと考えます。

◎わたくしたちは、自死者の人格をいたずらに批判、中傷、攻撃するような
社会的風潮やいわれなき偏見・差別に反対します。

◎しかし、わたくしたちは自死をいたずらに推奨し、美化することは決していたしません。

◎わたくしたちは、自死者の思いに寄り添い、祈り、
かれらの生きた日々を心に刻み続け、彼らと共に生きていきます。

NPO法人グリーフケア・サポートプラザ 自死及び自死者、自死遺族への偏見差別の是正をめざすプロジェクトチーム】
自死遺族ケア団体全国ネット】


私が感じたこと

以下は、私がこの内容を聞いて感じたことです。


自死に関してメディアで報道され、深刻な問題として認知され、
それぞれが生死を考えることは大事です。
自死に対する考えもそれぞれあると思うし、それぞれが持論を持つというのは、
「生死」を考えたということだと思います。


でも、それはその人の死生観であって、
それを勝手に自死で亡くなった方へ当てはめたり、
亡くなった方、遺族への配慮なき発言はしてはいけないです。
言葉の影響力が大きい人ならそれはなおさらです。


自分の考えがどうこうの前に自死した方の思いに寄り添うべきではないでしょうか。


この宣言の内容を載せたのは、
自死で亡くなった方の人生が心無い一言で傷つけられることがないようになってほしいからです。
共感できない部分も人によってはあるかもしれません。
共感はできなくても、理解はしてほしいです。


さいごに

この宣言を載せることを許可してくださり、
ありがとうございました。


また、この宣言の内容に関して質問などがある場合は、
このブログのコメントでは、私の考えはのべることはできても私は会の会員でないのと、
宣言の作成者ではないため質問の回答はできないので、
生と死を考える会のホームページにある問い合わせフォームよりお問い合わせください。
問い合わせフォームは以下になります。

生と死を考える会のお問い合わせフォーム


このブログのコメントには自由に感想を書いていただいて構いませんが、
私の承認がないと公開はされないことをご了承ください。


死別体験の話が出たら〜励まし、優しさの訪問販売をしない

死別体験の話が出たら〜励まし、優しさの訪問販売をしない

タイトルがちょっと分かりづらいかもしれませんが、
周りからかけられる言葉に苦しむことがありました。


その時に感じたことが、
励まし、優しさの訪問販売
でした。


その事を少し書こうと思います。


死別したことを話すとかけられる言葉

休職をするようになって姉が亡くなった事を話す機会が何度かありました。
自死したことまでは伝えてません)


話したくて話したというよりは、会話の中で姉のことが出て来た時に、
最初はごまかして元気にしてるよと話していたのですが、
そうしているのが嫌になってきて、
自死したことまでは話さないけど、病気で亡くなったと話すようになりました。


以下は返ってくる言葉で多かったものです。

  • 「そんなことがあったなんて知らなかった」
  • 「辛かっただろうに全然そんなふうに見えなかった」
  • 「よく元気でいられたね」
  • 「回復する、立ち直る、乗り越えられるといいね」
  • 「時間が経てば癒してくれると思うよ」
  • 「あなたが頑張らないとね」


言われた時に感じたこと

これらの言葉をかけられた時に私が感じたことです。

  • 元気そうに見えるから何もないのではないことをわかってほしい
  • 元気でいられているのではなく、必死であるということ
  • 回復なんてできない、回復するとしたら死別した人が目の前に戻ってこなければできない
  • 立ち直る、乗り越えるものではなく、どう向き合っていくか、共に生きていくか
  • 時間が癒してくれるのではなく、時間が経つことで死別経験に対する捉え方、感じ方が変わっていく
  • これ以上何を頑張ればいいのか教えてほしい、頑張る力はない


相手に反論をしたくなる気持ちはありましたが、
死別したことを話して、相手と議論を交わしたいのではないし、
話を続ける気力もなくなったので、
こういう言葉をかけられた時には話を別の話題に変えるようにしてます。


相手に悪気がないのが苦しさに拍車をかける

自分にとって苦しさに拍車をかけることが、
相手がかけてくる言葉に悪気を感じない
ということです。


相手を慰めよう、励まそうと思っての発言というのが、
余計苦しく感じます。


励まし、優しさの訪問販売はいりません

こうした経験をした時に、
自分もきっと経験してなければそういう言葉をかけていた
と思いました。


そして、相手の何気ない一言の励ましや優しさが実は、
励まし、優しさの訪問販売になっていると気付きました。


訪問販売をされている方には申し訳ありませんが、
たいていの場合は必需品ではないものを
必要かのごとく話を進めていきます。
そして、話を聞いているのがしんどくなるので、
話を打ち切りたくなります。
それと似たような感覚を感じました。


これは相手の人格を否定しているわけではありません。
何気なく発する励まし、優しさの一言が 相手にどう伝わっているのかということです。


死別に関する話がでたら相手の気持ちに寄り添う、受け止めること

死別体験に関する話が出て何か気持ちを話してくれた時には、
同じ経験をしているとしても立場、環境、状況、関係性などは
全く違うので、自分の感じたことを当てはめようとしないで、

  • 話に耳を傾けること
  • 教えてくれたことに感謝を伝えること
  • 相手の気持ちに寄り添うこと

を心がけています。


それが正解なのかはわかりませんが、
自分には何かしてあげられることはできないし、
深く立ち入ることもできません。
あと、全てに共感をすることもできないかもしれません。


でも、その気持を理解しようとしていることを示すことはできるから、
相手の言葉に反論や遮ることをしないようにしてます。
相手から何か質問や経験談を聞かれない限りは
自分の意見を伝えないようにしてます。


自死遺族になって〜会社を休職する

自死遺族になって〜会社を休職する

心身の不調を感じるようになったことは書きましたが、
その続きを書きます。


前回のブログはこちら。

chamomile-pis.hatenablog.com


自分と同じ経験をする方がでてほしくないですが、
同じように辛く思っている方がいたら
自分の経験したことを書いているだけのブログですが、
何かの力になりたいと思って書いてます。


体調が悪くなってきて、メンタルクリニック

以下の症状を感じるようになり、
何ヶ月かは我慢できましたが、
徐々に何も考えられないようになってきて、
これ以上やったらおかしくなりそうと思い、
近くの心療内科へ行きました。

  • 眠れない
  • 起きた時に夢と現実の区別がつかない
  • 頭痛
  • 疲れが取れない
  • 集中ができない
  • 物忘れが多くなる
  • 人の話していることが耳に入ってこない
  • 生きてる感じがしない
  • 心臓が急にドキドキする
  • 涙が出ない(出し方がわからない)


メンタルクリニックに行くことにためらう人いませんか?

これは特に男性に多いのかもしれません。
体の不調がメンタルによるものだと感じる場合、
病院に行くことをためらう人が多いように感じます。


自分はそうでした。
なぜか?
これは自分が感じていることです。


  • 会社に説明するのが怖い (会社から何と言われるのか、どう説明しようか
    同僚・上司にどう思われるか気になってしまう)
  • 変なプライド(強がり)がある


上記のようなことを思っていて、
症状が出始めたときから行こうか迷ってましたが、
行けずにいました。


でも、もう充電切れのような感じがして、
思考能力が低下し、
人の話していることを聞こうとするだけなのに
疲れてしまう、理解しようとするのに理解できなくなりました。
自分の感覚としては、
パソコンやスマホの液晶画面が割れて、
変な色合いになっていて、
同じ画面を映し出しているのにちゃんと見れない、
ひび割れて見えるような感じでした。


この状態になった時には、ためらうとかそういうことを考えることもほとんどできず、
行くしかないという状態でした。


行くにしてもどこに行けばいいのか分からない(今もよく分からない)

行こうと思ってもどこに行けばいいのか分からなかったです。


私の場合は、あれこれ調べる気力もなかったので、
近くにあるメンタルクリニックに手当たり次第電話し、
すぐに診察の予約ができるところに行きました。


どこに行けばいいのかは正直今も分からないです。
担当医との相性とかもあるのかなと思います。
ブログに書いておきながら、アドバイスできず申し訳ありません。


心療内科と精神科って何が違うの?

手当たり次第電話はしましたが、
その前に調べたことが一つありました。


心療内科と精神科って何が違うの?


何科に行ったらいいのか分からず、調べてみました。

厚生労働省のページには以下のように説明しています。

厚労省のページのリンク


  • 精神科について

精神科、神経科、精神神経科
「精神科」、「神経科」、「精神神経科」は同じものです。
どれかが書いてある場合や、併記してある場合は、
うつ病」「統合失調症」「神経症性障害」などのこころの病気を診ている、精神科の医療機関と考えて間違いありません。(厚労省のページより)


心療内科心療内科」は心理的な要因で身体の症状(胃潰瘍、気管支ぜんそくなど)が現れる、
いわゆる「心身症」を主な対象としています。
しかし、「心療内科」と看板に書いてあっても、
実際にはこころの病気を診ている医療機関がたくさんあります。
ただし、こころの病気を全て診るわけではなく、
軽い「うつ病」や「神経症性障害」など一部のこころの病気しか診ないところもあります。(厚労省のページより)


未だにちゃんと理解できてません。

  • こころの病気を診るのが精神科
  • 身体の症状が出ている場合は心療内科

ということでしょうか。。。
でも、うつ病でも身体に症状はでているんじゃないのかと思うとよく分からず。


調べても理解できなかったというのもあって、
手当たり次第電話したというのもあります。


結局行ったところは、
精神科、心療内科メンタルヘルス科があるところでした。


今、ブログを書きながら気付きましたが、
診察してもらった時、結局何科として診てもらったのか分かりません。


とりあえず薬出しますね

初めてメンタルクリニックに行ったので緊張してました。

こういうのって、色んな話を患者から聞くだろうから、
初診って結構時間がかかるのかなと思ってました。


そして、名前を呼ばれ、診察室へ。


なんと初診の時間は5分〜10分で終わりました。


やりとりを細かくは覚えてませんが、
以下のような感じでした。

自分:「姉が自殺が判明した頃から症状がでました。」
担当医:「眠れないの?」
自分:「はい。」
担当医:「じゃあ、薬出しますね。とりあえず飲んでみてください。」
担当医:「気分が落ち込んでる?」
自分:「はい。」
担当医:「じゃあ、薬出しますね。」
担当医:「ゆっくり休んでくださいね。とりあえず1ヶ月休んで様子見ましょうか。」


とこんな感じでした。

診断書には、
適応障害による抑うつ状態」と書かれてました。


適応障害って何?
抑うつ状態って何?
と思いました。


感じた違和感

あっという間に終わってしまい、違和感を感じましたが、
とりあえず会社に連絡しなくちゃと思いながら帰りました。


家に帰ってからこの違和感が何か気付きました。


自分は薬をもらいたかったのではなく、
色々話を聞いてくれたり、
行き場のない感情を何か吐き出せる場所がほしかったのです。


何度目かの診察にて

何度か診察してもらう中で、


心療内科って眠れているかしか聞かないのか?」


と思うようになり、
自死遺族(この時はまだ自死遺族という言葉を知りませんでした)を専門的にしている人とか
そういう支援をする場所を紹介してもらえないのか」
と質問しました。


すると、一言回答が返ってきたのですが、
その回答にあっけにとられました。


「うーん、知らないね。」


この回答を聞いて、はっきりと分かりました。


「この人は心に関心を持っているのではなく、
薬を出して症状を治すことし考えてないのだな。」
と思うようになりました。


それからはメンタルクリニックには診断書をもらうための場所
としか認識しなくなりました。


むしろ薬をもらいに行った時に薬局の人に、
「失礼で申し訳ありませんが、
眠れない・気分が落ち込んでて辛いですよね?
お辛いでしょうが、何かあれば言ってください。」


とカウンセラーかと思うような発言をされ、
むしろ薬局の人が親身でした。


カウンセリングに行ってみようかと思ったけど

担当医に何も紹介してもらえなかったので、
自分で調べようと思い、カウンセリングを検索してみました。


調べてみると、やっぱり、料金が高い。。。


色々話を聞いてもらったり、
自分の感情の向き合い方とか一緒に考えてもらいたかったけど、
これは無理だと思い、諦めました。


自死遺族、グリーフ、分かち合いというのを知るようになる

そんな感じで休むようになってから検索する中で、

  • 自死遺族
  • グリーフ
  • 分かち合い

という言葉を知るようになりました。


実際に分かち合いに足を運んだのはもっと後のことになります。


分かち合いに参加してみてどうだったかはまた今度書こうと思います。


自死遺族になって〜心身の不調

自死遺族になって〜心身の不調

前回は姉の自死についてでしたが、
今回は私の心身の不調に関してです。


前回の記事はこちら。

chamomile-pis.hatenablog.com


自分の心身の不調を書いて、
心配してもらいたいのではなく、
同じような不調を感じた人が「自分だけではないんだ、他にも感じている人がいるんだ」
と感じてもらいたいからです。


もし、同じように苦しんでいる人がいたら、
少しでもその辛さが和らぐことになればと思います。


グリーフという言葉知ってますか?

グリーフという言葉、私は自死遺族になって半年くらいして知るようになりました。


グリーフというのは日本語にすると「悲嘆(ひたん)」と訳されるそうです。
深い悲しみとも言われていて、
大切な人を失った(喪失)時に起こる心身の反応を言うそうです。


ネットで調べると色々出てきます。

リンクをいくつか貼ります。

グリーフケア、グリーフワーク、死別悲嘆の総合情報サイト

グリーフとはどんなもの?


このグリーフというのは、死別のみならず、

  • ペットとの別れ
  • 離婚
  • 離職
  • 引っ越し

などなど、様々な喪失の時にも起こります。


そして、この反応は誰にでも起こりうる自然な反応だということです。
この反応には色んなものがあるのですが、
私が姉を自死で亡くして感じた症状を書きます。
※グリーフの症状は個人によって症状も違いますし、症状がないから変というものではないです。


私の心身に起こったこと

姉から遺書が届いた頃から以下の症状がでました。


  • 眠れない
  • 起きた時に夢と現実の区別がつかない
  • 頭痛
  • 疲れが取れない
  • 集中ができない
  • 物忘れが多くなる
  • 人の話していることが耳に入ってこない
  • 生きてる感じがしない
  • 心臓が急にドキドキする
  • 涙が出ない(出し方がわからない)


主には上記の症状がありました。


症状が出始めて半年後、休職する

姉の行方不明届けを出してから、判明するまでの約2ヶ月、
仕事に打ち込むことで現実から逃避したく、残業をたくさんしました。
でも、きっとこんなことをしたら、何ヶ月かで体がおかしくなるだろう
というのは分かりきってました。でもそうするしかなかったのです。


姉の自死が判明してからは、これらの症状がもっと強くなってきて、
これ以上働いてたら、自分が自分でなくなる
という思いになり、心療内科に行き、休職するようになりました。


休職時の心療内科の話やこれらの症状はその後どうなったのかはまた今度したいと思います。


コメント欄は自由に記入できます。
私の承認がなければ公開はされないので、公開するかは私の判断によることをご了承ください。
気軽にコメントに載せられる内容ではないかと思いますが、
気軽にコメントしていただいて大丈夫です。
質問にも答えられる範囲であれば答えたいと思います。


姉の自死について〜自死遺族になった日

姉の自死について〜自死遺族になった日

2017年3月に姉は自死をしました。

本当に思ってもなかったことでした。


理由は何だったのか色々思うことはありますが、これが原因だと一つに絞ることはできません。


少しずつではありますが、姉のことを触れていこうと思います。

今回は姉の自死が判明した時の事を触れたいと思います。

遺書が届いた

3月下旬に姉からダンボールが届きました。


詳細はまた別の機会に触れようと思いますが、
姉は東京から沖縄に引っ越すために2月下旬に沖縄に行きましたが、
住む場所や就職を決めてなく、
沖縄でゆっくり過ごしながら決めることにしていたので、
私の家に一旦大きい荷物とかは預けておきたいと言ってました。


2月下旬に東京を発つ前に荷物を預けていたのに、
3月下旬にまた荷物が届いたのが不思議でしたが、
何かお土産でも送ってくれたのかなと思って、ダンボールを開けると、
そこには、姉の身分証明書など一式と携帯電話が出てきました。


何が何なのかよく分からなくなり、
もう少し中身を見てみると、封筒が何通が出てきました。


開けてみると、そこには「遺書」と書かれてました。
一通り読み終え、他の荷物にも目を通しました。


頭が真っ白になりました。
何が何か分からなくなりました。
夢でも見ているのか、
それともドッキリなのかと思いました。


深呼吸をしても、水をゆっくり飲んでも、
椅子に深く腰掛けても何をしても落ち着きませんでした。


何十分か経って、やっと「考える」という行為ができるようになりました。

「警察に届けを出さないと」
そして警察に行き、行方不明届けを出しました。


この日は遠くから後輩が遊びに来て、うちに泊まることになっていたので、
いきなり断るわけにはいかないので、
何とかいつも通りを取り繕って過ごしました。


行方不明の届けを出してから約2ヶ月

行方不明届けを出してから、
姉がどこにいるのか探すあてもない中探しました。


何も手がかりもなく、姉が東京を発つ前に働いていた職場にも電話をし、
怪しまれることを覚悟して、親しかった人を紹介してもらい、
話を聞いたりもしました。


何をしても手がかりも掴めず、
警察にも何度も電話して、状況を聞いても「分かりません。」
だけでした。


そのようにして2ヶ月が過ぎました。


警察から電話、そして、、、

行方不明届けを出してから2ヶ月くらい経ったある日、
警察から電話がありました。


「お姉さんによく似た方が見つかりました。
確かめてほしいから署までこれませんか。」


仕事が終わり、夜中に警察へ、、、。


写真を見せてもらった時のことは一生忘れることはないです。
涙がこみ上げてきてるのに涙が出てこない、
自分は何かのドラマを見ているのか、
これは自分の身の上に起こっている出来事なのか、
自分の中で心が分離したような気持ちになりました。


DNA鑑定したいので、と口内の粘膜を採取してもらい、
鑑識に回すとのことで、色々手続きをしました。


鑑識結果

DNA鑑定に出した後、1ヶ月位して警察から電話がありました。


「DNA鑑定は100%のことは言えないけど、
ほぼお姉さんで間違いないです。」
頭が真っ白になりました。


警察へ行き、色々手続きをし、
火葬も全て済ましてあり、遺骨に関しては外部の業者が預かっていると言われ、
そこへ取りに行きました。


家に帰ってから気付いたこと

家に帰ってきてから色々書類に目を通すと、
姉の死亡推定日時に目がとまりました。


姉の亡くなった日は亡くなった母の誕生日でした。。。


前から計画していたのだなと分かりました。
携帯のGPSに残っていた記録を見ると、
どうしようか迷っていたような感じでした。


そして実は東京に戻っていたことも分かり、
きっと戻る場所もなく、どうしたらいいか分からなくなっていたと思います。


亡くなった場所を訪れて

警察に姉の亡くなった場所の位置を教えてもらい、そこへ行きました。


とある河川敷、特に何かここに思い出がある場所でもないです。
夜中に河川敷の木陰で大量にインスリン(姉は1型糖尿病でした)を注射したそうです。


昼間はランナーやサイクリングをしている人が多いですが、
こんなところに夜中に一人で行くのは普通に怖いです。


どんな気持ちだったんだろう。
どうして姉の辛さを気付けなかったんだろう。
どうして一言でも辛い、死にたいって言ってくれなかったの。
一緒にお母さんを最期まで看病し、見送ったのに。
お姉ちゃんがいなくなったら、弟が悲しむってわかってたはずなのに。


お姉ちゃん、お母さん亡くして辛かったんだよね、寂しかったんだよね、
ずっと付き添って、お母さんのために尽くしてたよね。
心に大きな穴が空いてたんだよね。
他の何にでも埋められなくて、辛かったんだよね。


お姉ちゃん、ごめんね。


夜中に一人で河川敷を歩くとき、怖かったよね、一人にさせてごめんね。


どんな気持ちだったのだろうと思って、夜中に行こうと思いましたが、
足がすくんで、本当に怖くなったのと、
夜中にあそこに行ったら自分も後追い自殺をするイメージしかできなくなって、行けませんでした。


この後、自分の身の上に起こったこと、体調不良、休職、退職、
家族に対する思い、
自死遺族やグリーフという言葉を知り、分かち合いに行くようになって、
などはまた今後書いていこうと思います。


さいごに

きっと、この記事を目にされる方は、
自死遺族、関係者の方が多いかと思います。


もしかしたら希死念慮のある方も読まれているかもしれません。
私も希死念慮あります。
生きづらいです、息苦しい世の中です。
この記事を読んで励みや勇気をもらうことはないだろうし、
苦しさや悲しさしか感じられないかもしれません。


私には何かすることはできないですが、
寄り添える人になりたいです。
生きづらいけど、人には支え合う力があることを信じてます。


このブログはコメントがアカウントの有無に関係なく、
書けるようになっていますが、
私が承認しなければコメントが公開されないようになってます。

早い返事はできないのと、コメントを公開するかは私の判断になってしまいますが、
コメントは自由にしてください。


私の人生の道〜育った家庭環境と希死念慮

私の人生の道〜育った家庭環境と希死念慮

自己紹介でも書きましたが、もう少し自分のことを書こうと思います。


家族構成と育った家庭環境

家族構成は4人家族(父 母 姉 私)です。
狭めな2LDKに住んでいて、部屋の仕切りはカーテンになっていて、
姉と私は同じ部屋でした。


一人になれる場所がなく、会話もすべて筒抜けになる家でした。


いつの頃からだったかは覚えてませんが、
物心がついた頃には父と家族の会話は希薄になってました。


私の記憶には家族4人で楽しく会話をした記憶がありません。
旅行もした記憶もないです。


父は仕事人間で、休日は寝てるか競馬・競輪・パチンコ。
口下手というか、自己表現ができない人で、自分が物事の中心にいないと嫌な人で、
母 姉 私が楽しく会話していると怒鳴ることもありました。
仕事では重役になっていたそうで、会社では役員になっていたそうで、給料もたくさんもらっていました。
でもそのお金で引っ越しや家族のためでなく、マンション投資に手を出し、失敗してました。


父と母の会話はどんどんなくなっていき、
いつの頃からか会話でなく、筆談になってました。


このような家庭環境の中で育ってきた私は、
小学生高学年の頃にはいつも家族の顔色をうかがって生活をするようになってました。
それは家の中だけでなく、学校でもそうでした。


希死念慮を持つようになった日々

小学生の高学年くらいから、家に居場所を感じないし、学校も特別に面白いわけでもなく、
何か満たされない虚しさをずっと感じていました。


自分は勉強も運動も出来るわけでもないし、 いてもいなくても気づかれないような存在なのに、
なんで存在しているのだろう、生きてて何がいいのだろう
と思うようになりました。


そして中学生の頃には、
「この薬を全部飲んだらラクになれるのか」
「高層ビルの屋上から飛び降りたらラクになれるのだろうか」
と真剣に思うようになりました。
でも、本当にやろうと家においてある常備薬の瓶を手に取ったり、
高層ビルの屋上から下を外を眺めると足がすくみ、本当に怖かったです。


高校の頃からは家にいるのが嫌だったけど、
お金がないからどこかにいくこともできないから、
夜中の間、外を歩き回ったり、
マンションの階段でうずくまって夜を明かしたこともありました。


社会人になってから、

という単語を知るようになり、
そこから自分を分かってあげようと思うようになり、
希死念慮を持つ機会は減りました。


きっと姉はもっと辛い思いを抱えながら、
言葉にすることができず、ガマンを重ねてきたのだと思います。


お姉ちゃん、気付いてあげられなくてごめんね。

分かち合いや講演会などの情報をカレンダーにまとめてみました

分かち合いや講演会などの情報をカレンダーにまとめてみました(9月)

なぜカレンダーにまとめてみたのか

姉を自死が分かって、10ヶ月くらい(2018年5月くらい)までは何をしても考えが回らず、
生きているだけで精一杯というか、生きている感覚がそこまで感じられず、
なんとか日々やらなければならない事をしてる感じでした。

  • 現実を受け止められない
  • 何か悪い夢でもみているに違いない
  • なんで分かってあげられなかったのだろう
  • 自分はこれから生きていけるのだろうか
  • なんで一言でも「辛い」と言ってくれなかったの

などなど様々な感情がぐるぐる回ってました。


何かきっかけがあったわけではないですが、
徐々に考え方、感情の受け止め方に変化が出てきて、

  • 行き場のない悲しみ、憤りをなくしたり、消すことはできない、他の感情に変換することもできない
    それなら、その感情全てを受け止めて、生きていこう
  • 亡くなった母と姉が見ることのできなかった世界を、景色を自分が母と姉の手を取って見ていこう

と思うようになりました。


そのあたりから自死遺族に関して調べるようになり、

  • グリーフ
  • 分かち合い

という言葉を知るようになりました。


調べてみると分かち合いを開催しているところがいくつかあるけど、

  • カレンダーでひと目で見れたらうれしいなぁ

と思いました。

なので、自主的に作ってみました。
私が東京在住なのと、あちこち調べるのもちょっと大変なのもあって、
東京限定になってしまうことをご了承ください。


同じような思いを持っている方の参考になれたらと思います。
あと、注意点として以下に記載します。

  • カレンダー作成の目的は情報をひと目で見れるようにすることで、場所を探されている方への共有です。
  • 自主的に調べた範囲の情報になるので、他にもありましたら教えてください。
  • 詳細にリンクを貼っているので、詳細はリンクから確認願います。
    もしリンクを間違えてしまってましたら申し訳ありません。。。
  • 各集まりに関して質問は私は回答できないので、質問がある場合は各主催団体様へ問い合わせをしてください。

もし、他にもこうした情報をカレンダー形式で作っている方や、
こういう集まりもあるよ!という情報を持っている方がいましたら教えてください。

情報を必要としている人へ届いてほしい

情報が少しでも必要としている人に届いてほしいと思います。


以下、9月以降のカレンダーになります。
主には、以下2点に関する集まりが載っています。

  • 分かち合い
    自死遺族に限らず、死別体験に関しての分かち合いの情報もあります。
    タイトルに見分けが付くようにしてます。
  • 講演会など
    グリーフ、死生観などに関する情報があります。